1/16

やっぱり世の中楽しむにはある程度スイーツ脳である必要があると思うのです。

アートやデザインを学ぶ以上、世間を斜め上から見ることが大前提だと思い込み、この2年間突き進んできました。その過程でおそらく、僕のそう言う部分が嫌いになった人もいるでしょうし、その逆もいるでしょう。


今でもそのスタンスを変える気はないのですが、自分が考えてることが一般の社会での常識と必ずしも一致しないということを今一度、強く意識しなくちゃいけない、そしてその上でものをつくったりだとか、言葉を選んだりだとか、展開を変えていかなければならないんだなと思います。じゃないと色々うまくいかないし、愛のない傲慢学生デザイナーになりかねない。


まぁなんでこんなことを考えてるかと言うと、僕はすごく集団を選んでしまうんですよ。自分と近いところがいいとか、即物的な感じが嫌とか、何かしら+α大きなメリットがあるとか。

でもそれは良くないことで、どこかで損はしているはずっていうのは分かってるんです。というのは現代日本が大学生に与えている悪しき特権的なところとかが主なんですけど。でもそれによって情報の共有がうまくいかないとかはあって、うん、何か釈然としないけどやはり迎合すべきだと思ってるんですよね。


あーこの文章読んでも全然意味が分かんないですよね。でもまぁ今僕が置かれてる状況をベースに書いてるからいいのか、これはこれで。もともと分からせる気がないんだな(笑)


何が言いたかったかというと、肩肘張らずに、ある程度世間に流されつつ生きてもいいのかも知れないな。そのスタンスが2年前に得られていたら、また別の状況に置かれていたろうな、ということです。